2006/05/10

教育基本法は憲法の理想を実現するためにある(下)

 三宅先生のインタビュー第2回は、与党が国会に提出した教育基本法の「改悪」案が、とんでもない内容だということを浮き彫りします。さっそくいってみよう。

 ◇家庭教育にまで国が介入

 三宅 さらに改悪案では、現行法にはない「家庭教育」「幼児期の教育」から「大学」「地域」「生涯学習」にわたる、国民生活のあらゆる場面で「教育の目標」の達成が求められることになっています。「家庭教育」の「習慣」にまで国家が立ち入って要求することを許しています。まさに、戦前、国民全体を統制した教育勅語のようなものになりかねません。

 ◇教育行政はさらに中央集権化

 --教育行政の役割はどうなるのでしょうか。

 三宅 私は、今回の改悪案の中でもっとも大きな問題だと感じているのが、教育行政の中央集権的支配の完成です。
 削除することに批判が強かった現行法10条にある「教育は、不当な支配に服することなく」という文言は残しましたが、その後の文言で巧妙に狙いを貫徹しています。それは、その後に続く「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」という部分を削除し変えたことによるものです。
 「不当な支配」を受けてはならない教育の主権者である国民の存在が条文から消され、代わりに「教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」と教育行政の役割が定められています。
 そして、現行法10条2項において教育行政の役割を「教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備」と限定した部分を削除し、(2)国は、「教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない」、(3)地方公共団体は、「その実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施しなければならない」ことを明記しています。
 これは単なる「条件整備」ではなく、国と地方公共団体がそれぞれ教育内容にも介入することを意味しています。「教育水準の維持向上」の名のもとに学習指導要領を大綱的基準から到達目標化し、学力テストや教員評価による序列化と支配が行われます。「不当な支配」の「不当」かどうかを決めるのが、子どもや保護者、教職員という教育現場の当事者=主権者ではなく、行政となってしまうならば、この「不当な支配」の意味は、教育行政や行政による教育内容への「不当な支配」を禁じた現行法から、それらによる教育内容への支配を強化するものへと意味は完全に逆転してしまいます。

 ◇教員は「全体の奉仕者」でなくなる

 教員の「使命」も、現行法6条では、「教員は、全体の奉仕者」として、教員が果たすべき使命が負っている責任の対象が、全体=国民であることが明記されています。しかし、改悪案では、「全体の奉仕者」は削除され、「自己の崇高な使命」とのみ書かれ、さらには「絶えず研究と修養に励み」「養成と研修の充実」が付け加えられています。現在すでに教員は、行政から次々と求められる研修によって、子どもや教員同士の関係から引き離され、教員評価のもと、職務命令に従うことを使命とさせられつつあります。子どもに対しても「学校生活を営む上で必要な規律を重んずる」ことが新たに求められています。
 先日、東京都教育委員会が、職員会議での挙手や採決を禁止する通知を出したことが報道されました。教育は今や、民主主義実現の場から、上から「規律」「修養」「愛国心」を要求される統制の場へと変えられようとしています。
 また、改悪案の中に新たに組み込まれた「教育振興基本計画」は、具体的な教育内容の計画を、教育の現場からほど遠い「政府」が策定し、「国会に報告」するのみで「公表」し、それを「参酌」して地方公共団体が「施策に関する基本的な計画を定める」となっています。
 これによって、教育基本法は、準憲法的な理念法から、行政施策法へとその性格が根本的に変えられようとしています。その際、教育は、行政からの独立性を失い、内務行政の一部となってしまいます。そして、地方は、中央で策定した計画を「参酌」し「実情に応じ」計画を定めることが求められることになり、地方分権からはほど遠い、中央集権的従属関係が強化されます。
 「教育振興基本計画」は、「学習指導要領」とセットになって、数値目標を含む教育内容を計画・実施・評価させることによって、既に進行しつつある教育における上意下達システム、文部科学省―教育委員会支配を強化・完成させようとするものです。
 教育基本法「改正」の議論は、与党協議の完全な密室の中で行われました。議事録も配付資料も公開されず、4月14日の与党の「最終報告」公表後、2週間で閣議決定・上程し、1カ月少しで成立させようとしています。
 このような改悪のプロセスそのものが、与党による「不当な支配」にほかなりません。教育基本法の基本理念を否定する教育基本法改悪法案は必ず廃案にしましょう。

 (みやけ・あきこ=1955年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科独語独文学専門課程退学、イメージ文化論・ドイツ文化論。著書に『感覚変容のディアレクティク』『ベンヤミンコレクション2』ほか)

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2006/05/09

教育基本法は憲法の理想を実現するためにある(上)

 今日は、内閣府前での早朝宣伝(機関紙「国公いっぱん」第18号を配りました!)を振り出しに、法務省→総務省→財務省と霞が関をテクテク歩き回りました。財務省の地下の仮眠室前を通り、その奥のトイレで一服しているとき、ふと「あ、僕、36歳になっちまってた……」と、自分の誕生日を気づかずに日々を過ごしていたことに思い至(いた)りました(笑)。

 うわ~、36歳だってよ~。

 もう十分、僕、いい大人なんで、これからの未来を担う子どもたちのことなど柄でもなく考えたりなんかして……、だから今夜から2日連続で、いま国会にかかっている教育基本法の「改悪」案の問題点を聞いた、三宅晶子さん(千葉大学教授)へのインタビューをエントリーしますね(聞き手は、国公労連教宣部)。

 ◇基本法は憲法の理想を実現するためにある

 --そもそも教育基本法とは何でしょうか。

 三宅 教育基本法はその前文にあるように、「憲法の精神にのっとり」その「理想の実現」のために作られたものです。「戦争する国家のための国民づくり」を進めた戦前の軍国主義教育を根本的に転換し、国民主権や基本的人権、平和主義など憲法の「理想の実現は、根本において教育の力にまつべきもの」(教育基本法前文)としています。
 ですから、憲法の精神にのっとらないで教育基本法を変えることは違憲であり、やってはならないことです。

 ◇「心」と「態度」のあり方まで細かく法律に書き込む

 --政府の「改悪」案のどこが憲法に反するのでしょうか。

 三宅 いちばん大きな問題は、憲法第19条の「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」に反することになる「愛国心」の強制です。

 --「愛国心」という明確な言葉は入りませんでしたが。

 三宅 「愛国心」という言葉は入っていませんが、本質的にはまったく同じことです。
 改悪案に新たにつけ加えられた「教育の目標(2条)」で、「伝統と文化を尊重し…我が国と郷土を愛する」態度を養うとしています。さらに、「豊かな情操と道徳心」「公共の精神」など「心」と「態度」のあり方まで細かく「教育の目標」として法律に書き込まれようとしていることが重大な問題です。

 --どういうことでしょうか。

 ◇「学習指導要領」改定で172校が愛国心通知表

 三宅 大綱的な基準でしかない「学習指導要領」に、「国を愛する心」の育成が2002年に明記されました。すると、小学6年生の通知表の社会科の評価項目に「愛国心」を盛り込んだ公立小学校が、「全国で少なくとも11府県28市町の172校」(朝日新聞03年5月3日付)にのぼりました。

 ◇教育現場を統制の場に

 もし、教育の最上位の法律である教育基本法に「国を愛する態度を養う」ことなどが「教育の目標」と明記されたならば、法的拘束力を持って、学習指導要領や教科書を変え、教師に対する職務命令や評価、処分をともなって、教育現場を統制の場に変えることになります。
 本来、憲法26条が保障する「教育を受ける権利」は、憲法13条「個人の尊重」や19条「思想及び良心の自由」を必須の条件としてのみ実現されるものです。「愛国心」だけでなく、「心」や「態度」など人格のあるべき姿を国家が法律で決めることは、そもそも法の任務からの大きな逸脱です。

 --「教育の目標」とされる「国を愛する態度」はどうやって評価するつもりなのでしょうか。

 三宅 「愛し方は人によって違う」というのでは評価できませんから、どう愛するかという表現の仕方などについて、国が基準を示して評価することになるでしょう。
 現在、東京都で「日の丸・君が代」が教育現場に強制されています。子どもは、「君が代」斉唱で起立するか、大きな声で歌うかで評価され、教員は起立しないと処分される事態となっています。学習指導要領に「国旗・国歌」を「指導するものとする」と一言入っただけでこのような状況ですから、改悪案が法制化されると、教育現場でどれほどの強制力を持つことになるかは容易に想像できます。

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2005/09/08

憲法と国家公務員 その4

 忙しい上に、もっと書きたい実践ネタがあるというのに、しかし、(自分のために)この連載を続けよう。

 再び川村祐三さんの『ものがたり公務員法』に戻る。
 戦争に負けた日本という国家は、どのような公務員制度を確立すべきなのか? 更迭された軍人内閣に代わって皇族の東久邇内閣になるわけだが、彼が1945年8月18日に行った官吏に対する訓示があって、それは、
「官界の弊風を脱却既成の観念を清算し全く新しい大道に新日本を建設する気迫をもって克苦精励……」
 というものだった(笑)。

 じゃあ、「官界の弊風」とは何なのか?
 「朝日」1945年8月21日は、「官界の弊風、災いした出世主義、形式と法科万能一掃の秋」という見出しをつけて、ある官僚の談話を載せている。

 いわく、
 「官吏は国を守らずわが身を守った」
 「官吏の教養がきわめて偏(かたよ)っている」
 「敗因はいろいろあろう、根本的には官吏の立身出世主義にもとづいている」
 「上司と下僚に血のつながりというものができない」

 川村さんは、「まるで現在のことのように感じるのは私だけでしょうか」と結んでいる(笑)。

 このあと、国会では戦争体制を遂行した高文官僚の責任が問われていく。
 東郷実という衆院議員は、「敗戦の最大原因は政治と軍と官僚によって壟断(ろうだん)させられ、政治に責任を持たざる者が政治を支配し責任の所在を不明ならしめた結果である。官吏制度自体に抜本的改革を要望する」と主張しているし、新聞報道を調べてみると、終戦以来高級官僚の責任追及、官僚閥の打倒等の反官的世論が急激に台頭していることがわかる。国民のなかに、知事を公選で決めることや特高警察のような政治警察の廃止などが広がっていくのだ。
 国民の心の、もう戦争は嫌だ、という思いが、誰があの戦争を推し進めたのかという思考となり、結果的に、戦争を遂行した中心人物とそれを支えた連中の戦争責任が問われていくという構造だ。「行為あるところに責任あり」は、近代政治の大原則だが、このときの日本は、大きくて深い悲しみと引き換えに、やっとそのレベルに到達しようとしたといえる(しかし、当時の日本国民には、原則を確立するまでの力はなかったのだが……)。

 思想家の加藤周一さん(9条の会の呼びかけ人)は、「日本人の圧倒的多数は多かれ少なかれ戦争支持でしたから憂鬱な空気なんですが…、私は非常に少数の、戦争に批判的な日本人に属していました」と断って、敗戦の感覚を「これでまともな道に返った」「だから解放感なんです」と述懐している(『21世紀の自画像』)。
 僕が、いま、このブログで「戦争推進の官吏が悪かった」と書いたところで、それは結果論なのだ。
 
 いま、ちょうど選挙中ですけど、僕が考えてしまうのは、戦争遂行の国家総動員体制は、天皇を中心とした官吏体制によって担われたと同時に日本国民も少なからず、そのロマン主義に酔っていたということ。現代の国家公務員制度が戦前のそれと似ていくという時代性と、今回の選挙でメディアによって露骨に表現される政治家と元官僚たちのパフォーマンスは、やはり国民の理性を麻痺させる「何か」を内包しているという……、なんか、こわいな~。

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2005/09/05

憲法と国家公務員 その3

 前回、戦前・戦中の官吏制度が、戦争遂行のために国民を総動員させるためにフルに機能したということを簡単に見た。あの戦争が勝利に終われば、深い反省や検討など必要なかったのかもしれないが、負けたのだ。完敗したのだ。
 そもそも天皇のもとに世界を統合するという「八紘一宇」の理念とか日本を中心としたアジア諸国の解放という大東亜共栄圏構想そのものが幻だったのであり、満州国の「建国」に見られるように、他国の侵略の上に成立するものだった。結果論だが、(欧米の自由主義に対立する)理念上から言っても、日本の敗北は必然だったと言える。しかし、特攻隊の学生軍人の遺書や日記を読むと、そのことを理解している者が少数だがいる。当時の官吏のなかにも存在したはずだが、多勢に無勢だったのだろう。

 ここまで書いてきて、勘の鋭い読者は、戦後の国公労働運動がその活動の中心にすえることになる、「民主的な行財政・司法をめざすとりくみ」「国民のなかへ、国民とともに」の遠い起源は、敗戦を契機とした戦前・戦中の国家機能への深い反省にあると気づくはずだ。

 日本国憲法は、第99条の憲法遵守義務のほか、次のような条文を備えている。

 第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
       すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
       公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
       ……

 つまり、僕が理解するところ、日本国憲法は、「戦前・戦中の公務員は、信頼しない」ところから検討されている。戦前・戦中の公務員は、「一部の奉仕者だった」し、公務員にひどいことをされても国民には「罷免する権利」がなかったということだ。そのことの否定の上に、戦後の国家公務員制度が目指されたに違いないのだ(その成立過程には、いろいろな問題はあるけれど……)。
 そして、敗戦直後から雨後の竹の子のように生まれた官公労(公務員の組合)は、まさに戦前・戦中の戦争国家システムの否定の上に成立したと言えるのだ。

 名古屋市出身の作家である城山三郎さんの『官僚たちの夏』(新潮文庫)を読んでみる。
 高度成長のただなかで格闘する「ミスター・通産省」・風越信吾の物語だが、いろいろと考えさせる。彼が、現在の全経済(経済産業省の組合)の前身組合・全商工労組の初代委員長であったことが明らかにされている。
 風越は、組合に大衆討議を導入し、政策勉強会をつくって天下国家を論じる。ノン・キャリア組にも政策論議に参加させる。一方で、無能な職員の不適格リストを作成し、相応の処置を官側に取らせる。

「風越の率いる全商工労組は、…最も戦闘的な組合となった。2・1ゼネストのときには、…最後までスジ論を通し、参加の体制を崩さなかった。行政整理に対しても、断固として反対した」
 
 通産省が、戦中の商工省→軍需省の後身であることを考えるとき、城山さんは書いていないが、優れた高等官僚(キャリア)であった風越が、戦後、組合委員長を引き受けた理由の一つに、戦争の悲しみの担い手には絶対にならないという反省があったからではないか?

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2005/09/02

憲法と国家公務員 その2

 とりあえず中日ドラゴンズ、頑張って下さい(笑)。

 さて、名古屋大学法学部の大先輩で、人事院キャリアだった川村祐三さんの書かれた『ものがたり公務員法』(日本評論社)をひもといてみる。
 第一話が「公務員法前史」で、戦前の官吏制度が解説されている。
 川村さんは、「戦前は、公務員法などという法律はありませんでした」と書き出し、官吏の任用・給与・服務はすべて勅令(天皇の命令)によって定められていたと指摘しています。まずは、大日本帝国憲法の下で、いまの国家公務員は、「天皇の官吏」としてあったということだ。
 それから大事なことは、「官吏」の他に、ほぼ同数の「雇員・雇人」と呼ばれる職員が底辺の部分にいて、事務や作業に従事していたということ。川村さんは、戦前の官吏制度――トップに君臨する高等官・判任官、そこから枝分かれする勅任官、奏任官、それから親任官、認証官……末端にいる雇人まで――を、「身分的官吏制度」と特徴づける。高等官などは、食堂やトイレも別枠で設けられていたというから、その差別的扱いに驚く。
 僕の上司が、「いまで言うと、キャリアが高等官で、Ⅱ種以下が雇員・雇人という感じだろうな~」と教えてくれました(笑)。
 
 その上司が教えてくれた本が『官吏・公務員制度の変遷』(日本公務員制度史研究会編・第一法規)で、第4章「昭和前期(第二次世界大戦終了前)」から読んでみる。
 この時期は、大日本帝国憲法の下で、腐敗した政党人に代わって軍部が政治を支配していく時代みたいだ。現役の将官のみが陸海軍大臣になれ、内閣機能が強化されていく。それから、とにかく戦時行政体制を確立するために頻繁に行政組織が変更される時期なのだが、その中心に企画院(国策の審査、国民の総動員計画、国力拡充、予算の統制など)がすわる。企画院をめぐっては、陸軍と海軍が対立し、「事実上は内閣の総動員関係の事務機関たる地位」となったと書いてある。その後、大東亜省(笑)とか軍需省とかが新設されていく。
 このとき、官吏=一般行政官=高等文官になるためには、「高等試験」なる難しい試験に合格しなければならなかったらしい。科目を見ると、いまの国家公務員試験と変わらないようだけれど(笑)。この試験制度も、戦争のなかで何度か改正される。「外交官僚の勢力を国策の下に従属させよう」とか「占領行政などの遂行のため」という目的で、適当に改変された後、最終的には、学生がほとんど動員・召集されるようになり、試験が続行できなくなってしまうんだけど(笑)。
 
 やばい、この本、面白すぎて横道に入ってしまう。
 ……まあ、とにかく、戦前・戦中の官吏制度というのは、(明治から読むまでもなく)近代戦争遂行のために、とにかく国民を総動員させる機能をもたされたシステムで、圧倒的多数の官吏たちが「いかに戦争に勝ち抜くか」という観点から行政を担ったわけなんだな。だから、電力・電波・食料・農地その他の資源すべてを統制的に管理するし、空襲対策と称して道路の拡張を一方的に行うし、優生思想なんかを本格的に厚生行政に生かそうとするし、政党を解散させるし、さらに労働組合も軟弱な一つだけにまとめちゃうし、極端な話、国家機構は、プロレタリア文学作家の小林多喜二を約2時間の拷問で虐殺することまでやってしまったのだ。
 全部、こういうことを担ったのは、最悪なことに、「天皇の官吏」なのだよ。
 
 いまで言うと、郵便・通信・公安・裁判・予算・経済活動・健康と労働・輸送と交通・外交……すべてが、戦争を勝ち抜くために一方的かつ強権的に国民生活に押しつけられる、というイメージかな? そういうことをすべて(普通の)国家公務員が(嫌々)やったわけですよね、きっと。

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2005/08/31

憲法と国家公務員 その1

 僕が護憲論者となった理由はいろいろあるけれど、もっとも根底にあるものは、少年の頃に中沢啓治『はだしのゲン』に出会い、高校生になって井伏鱒二『黒い雨』を読んだことかもしれない。どちらもアメリカが広島に落とした原爆が何をもたらしたかを描いた漫画と文学で、とにかく「戦争はイカンな~」「戦争は悲しむ人をいっぱいつくるんだな~」と強く印象づけられた記憶がある。このとき、たぶん僕は、素朴平和主義者となったと思う(笑)。
 だから、名古屋大学の法学部で憲法を学んだとき、「日本と世界の多大な犠牲を払った上に、戦後憲法の平和条項が生まれた」「徹底的な、不戦の誓いとしての日本国憲法」という教えが、すんなり理解できたのかもしれない(友だちのなかには、攻められたら何も出来ない「丸腰憲法」などと批判する人もいたけれど…)。
 名古屋大学では、僕が入学する前に先輩たちが「平和憲章」という規範を全構成員自治のもとで確立させており、戦争にかかわる研究は拒否するというラディカルな精神が生きていた。だから、当時の僕は、「戦後生まれのわれわれには、戦争責任こそないけれど、日本国憲法下において、未来永劫、戦争を起こさないという『未来責任』がある」という主旨の論文を書き、大学生協主催の懸賞論文コンクールで第1席をもらうことができたのだ(副賞は沖縄旅行で、この目で米軍基地なるものを初めて見させてもらった)。
 とにかく、僕にとっての護憲を支えるものは、「戦争は嫌だ」という素朴な感性と自分の五感で捉えた経験なのだ。蛇足だが、他人が「従軍慰安婦などなかった」と言っても、僕にとっては、韓国で会ってきた「慰安婦」ハルモニの実体験の方が勝るのだ。その逆に、「戦争はだめ」と口先だけで言う若者より、悲惨な戦争体験をくぐった元軍人から聞いた「殺さねば、自分が殺された」という言葉の方が、護憲を支える真実だと思うのだ。

 卒業する時点で、弁護士になろうか公務員になろうか、民間に行こうかなどと迷ったのだが、結局、10年経ったいま、こんな仕事をしているわけだが(笑)、僕の護憲思想は、ますます強力なものになりつつある。とりわけ、憲法と国家公務員というテーマは、本当に奥が深いと感じている。
 本来、法律屋である国家公務員は、基本法としての日本国憲法を徹底して学ばねばならない立場にあるはずなのに、経験的に言わせてもらうと、ほとんど学んでいないのではないか? ある日、別の省庁から40代キャリアがやってきて「いまから、法律つくるぞ~」という安易な号令のもと、約1カ月間の不眠不休の突貫工事が始まり、○○法案が仕上げられる……という霞が関において、自分がつくっている法律が日本国憲法の精神と合致しているかどうかということは、ほとんど検討されない。
 そもそも小泉首相が、「憲法を改正する」と公言し、すべてをワンフレーズで単純化し、裁断する状況のもとで、改めて日本国憲法の条文に立ち返ってみるとか、60年前に終わった戦争の実相を検討してみるとか、果ては自分の仕事との関わりを考えてみるとかいう面倒くさい作業は、ただでさえ忙しい国家公務員には、ほとんどできないことなのだ。
 
 さて、これから本論。
 日本国憲法の条文のなかで、極めて異彩を放っているものがあり、それは第10章の「最高法規」にある第99条なのだ。

 第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、
      この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

 初めて憲法を通読したとき、僕は「なんだ、これは?」と思った。
「公務員は、アプリオリ(先天的)に無条件に、この憲法を守れってのか?」
 この問いが、戦前・戦中の国家公務員(官吏)制度について考える旅の第一歩となったのだ。

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