教育基本法は憲法の理想を実現するためにある(下)
三宅先生のインタビュー第2回は、与党が国会に提出した教育基本法の「改悪」案が、とんでもない内容だということを浮き彫りします。さっそくいってみよう。
◇家庭教育にまで国が介入
三宅 さらに改悪案では、現行法にはない「家庭教育」「幼児期の教育」から「大学」「地域」「生涯学習」にわたる、国民生活のあらゆる場面で「教育の目標」の達成が求められることになっています。「家庭教育」の「習慣」にまで国家が立ち入って要求することを許しています。まさに、戦前、国民全体を統制した教育勅語のようなものになりかねません。
◇教育行政はさらに中央集権化
--教育行政の役割はどうなるのでしょうか。
三宅 私は、今回の改悪案の中でもっとも大きな問題だと感じているのが、教育行政の中央集権的支配の完成です。
削除することに批判が強かった現行法10条にある「教育は、不当な支配に服することなく」という文言は残しましたが、その後の文言で巧妙に狙いを貫徹しています。それは、その後に続く「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」という部分を削除し変えたことによるものです。
「不当な支配」を受けてはならない教育の主権者である国民の存在が条文から消され、代わりに「教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」と教育行政の役割が定められています。
そして、現行法10条2項において教育行政の役割を「教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備」と限定した部分を削除し、(2)国は、「教育に関する施策を総合的に策定し、実施しなければならない」、(3)地方公共団体は、「その実情に応じた教育に関する施策を策定し、実施しなければならない」ことを明記しています。
これは単なる「条件整備」ではなく、国と地方公共団体がそれぞれ教育内容にも介入することを意味しています。「教育水準の維持向上」の名のもとに学習指導要領を大綱的基準から到達目標化し、学力テストや教員評価による序列化と支配が行われます。「不当な支配」の「不当」かどうかを決めるのが、子どもや保護者、教職員という教育現場の当事者=主権者ではなく、行政となってしまうならば、この「不当な支配」の意味は、教育行政や行政による教育内容への「不当な支配」を禁じた現行法から、それらによる教育内容への支配を強化するものへと意味は完全に逆転してしまいます。
◇教員は「全体の奉仕者」でなくなる
教員の「使命」も、現行法6条では、「教員は、全体の奉仕者」として、教員が果たすべき使命が負っている責任の対象が、全体=国民であることが明記されています。しかし、改悪案では、「全体の奉仕者」は削除され、「自己の崇高な使命」とのみ書かれ、さらには「絶えず研究と修養に励み」「養成と研修の充実」が付け加えられています。現在すでに教員は、行政から次々と求められる研修によって、子どもや教員同士の関係から引き離され、教員評価のもと、職務命令に従うことを使命とさせられつつあります。子どもに対しても「学校生活を営む上で必要な規律を重んずる」ことが新たに求められています。
先日、東京都教育委員会が、職員会議での挙手や採決を禁止する通知を出したことが報道されました。教育は今や、民主主義実現の場から、上から「規律」「修養」「愛国心」を要求される統制の場へと変えられようとしています。
また、改悪案の中に新たに組み込まれた「教育振興基本計画」は、具体的な教育内容の計画を、教育の現場からほど遠い「政府」が策定し、「国会に報告」するのみで「公表」し、それを「参酌」して地方公共団体が「施策に関する基本的な計画を定める」となっています。
これによって、教育基本法は、準憲法的な理念法から、行政施策法へとその性格が根本的に変えられようとしています。その際、教育は、行政からの独立性を失い、内務行政の一部となってしまいます。そして、地方は、中央で策定した計画を「参酌」し「実情に応じ」計画を定めることが求められることになり、地方分権からはほど遠い、中央集権的従属関係が強化されます。
「教育振興基本計画」は、「学習指導要領」とセットになって、数値目標を含む教育内容を計画・実施・評価させることによって、既に進行しつつある教育における上意下達システム、文部科学省―教育委員会支配を強化・完成させようとするものです。
教育基本法「改正」の議論は、与党協議の完全な密室の中で行われました。議事録も配付資料も公開されず、4月14日の与党の「最終報告」公表後、2週間で閣議決定・上程し、1カ月少しで成立させようとしています。
このような改悪のプロセスそのものが、与党による「不当な支配」にほかなりません。教育基本法の基本理念を否定する教育基本法改悪法案は必ず廃案にしましょう。
(みやけ・あきこ=1955年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科独語独文学専門課程退学、イメージ文化論・ドイツ文化論。著書に『感覚変容のディアレクティク』『ベンヤミンコレクション2』ほか)
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