小林多喜二の励まし――「未完の物語」の続きを生きる
こんばんは。
いまさらながら、
このブログは、国公一般という労働組合の一担当者の、個人的な活動報告です(恥)。
僕の丸4年間の労働組合活動は、日本社会において働く者の労働条件が「底割れ」していく過程そのものでした。「底割れ」は、賃金だけではありません。「多様な」雇用形態のとめどもない拡大によって、偽装請負、日雇い派遣といった、究極の労働力商品=新たな商業資本が成立する過程でした。
いじめ、セクハラ、パワハラといった、人間関係の「歪み」も、かなり進みました。
新米オルグとしては、デキの悪い、生意気な存在でしたが、解雇された若者たちに寄り添ってきて、やはり、辛(つら)いことや悲しいことが多かったと、いま振り返ると、思います。
僕が、ともすれば現実の重みによって萎(な)えてしまいそうになるとき、常にサポートしてくれたのは、職場の上司であり同僚であり、他の労働組合の先輩や同世代のオルグのみなさんであり、さらには、さまざまな困難を抱えながらも団体交渉を決意して、たった一人でも会社役員とのたたかいに立ち上がった組合員のみんなの姿なのでした。
この場を借りて、本当にありがとうございます、とお礼を言いたいと思います。
みなさん、本当にありがとうございました。
そして、もう一つ、文学からの励ましが、たえずありました。
僕は、日本の近代文学が大好きです。そして、戦後の日本文学が築き上げてきた作品の群れに育てられてきたとさえ断言したいほど(笑)、とりわけ純文学の言葉に励まされて、ここまでサバイバルしてこれたと思っています。
本日の東京新聞夕刊の文化面に、エッセー「小林多喜二の励まし――『未完の物語』の続きを生きる」を書かせていただきました。いまから75年前、言論の自由が奪われていた日本。29歳という若さで、特高警察によって虐殺されたプロレタリア文学の旗手・小林多喜二さんへの思いを書きました。
この原稿は、僕なりのプロレタリア文学への感謝と、日本近代文学の極みとしてのプロレタリア文学へのオマージュでもあります。
文学の言葉がなければ、僕は死んでいたと思います。
この仕事を寄せてくれた東京新聞文化部に、心から感謝いたします。
本当にありがとうございました。
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