「非常勤職員は道具ではない」By 山口裁判長。
遅まきながらの分析記事になるけれど、先月の3月25日に下された国立情報学研究所非常勤職員雇い止め事件の判決(東京地裁民事36部・山口均裁判長)は、画期的なものだった。
山口裁判長は、「非常勤職員に対する任用更新の当否ないし担当業務の外注化の当否については方針もあろうが、任用を打ち切られた職員にとっては、明日からの生活があるのであって、道具を取り違えるのとは訳が違うのである」とのべて、雇い止めを認めず、原告の労働者としての地位を初めて認めたのだ。
これまで、数多くの非常勤国家公務員が理由を告げられることなく事実上の解雇=雇い止めされ、泣き寝入りを強いられてきた。非常勤国家公務員の仕事はハローワークで募集され、職員は入れ替わっても恒常的に存在し続け、ほとんど正規の国家公務員と変わらない内容だというのに、非常勤職員には、正規のような同様の厚い身分保障は叶(かな)わず、日々雇用(「明日から来なくていいよ」と言われたらお終い)という不安定な立場におかれてきた。
判決を聞きながら、僕は、昨年末、セクハラ問題で交渉を始めたら任用更新を打ち切られた組合員の無念を思い出した。当局に行き、窓口で「雇い止めする理由を言え!!」と何度訴えても「理由は言えない」「契約満了だ」の一点張りだったことを思い出した。
また、郵政の職場で働くゆうメイトや国立大学で働いていた非常勤職員など、ごく少数の労働者が裁判に訴えてたたかってきたが、裁判では「あなたたちは国家公務員だから、その任用については国に大きな裁量権がある。民間労働者と違う」と門前払いされてきた。
勝利判決の報告集会で、ゆうメイトの裁判にも関わってきた伊藤幹郎弁護士は、「敗訴判決の山、死屍累々のなかでのたたかいだった。負けても負けても理不尽なことは訴え続けるんだ。『勝つまでやろう!』が合言葉だった」と表現した。
山口裁判長が書いた判決文は、これまでの原告側敗訴判決を吟味し、その到達を見極めた上でのものだということがよくわかる。弁護団声明が「長年の闘いの積み重ねが、ついに、本判決をして厚かった法の壁の一角を崩させた」と書く理由だろう。一見、一人ひとりの力は無力で弱いと思われがちだが、そうではないのだと思った。
判決は、クビ切りの権利を勝手気ままに行使してはならない、と言っている。これは、普遍的な法原理で、国家公務員非常勤職員に対しても適用される、と言っている。……泣けてくるではないか!!
組合活動をしていて、僕は、「仁義」というものを信じるようになってきた。ヤクザではないけれど、人と人との血の通い合うような関係を「仁義」と定義するなら、山口裁判官の判決は、仁義を守ったものと言えないだろうか(笑)。
最後に、僕が一番しびれた文章を引用する。
「本件について見るに、国情研においては、原告ら非常勤職員に対して冷淡に過ぎたのではないかと感じられるところである。永年勤めた職員に対して任用を打ち切るのであれば、適正な手続きを践(ふ)み、相応の礼を尽くすべきものと思料する次第である」
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