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2006/02/24

日経新聞もすでに死んでいる(笑)。

 財務省に行くと、人事院が月一で発行している薄っぺらな雑誌『人事院月報』2月号があったので、中華食堂「さぼてん」で、担々麺を食べながら、パラパラ斜め読みした。すると、な、なんと、久しぶりに読み飛ばせない記事があった(!)。
 それは、「ひろば」という欄で、日本経済新聞の黒沼晋記者が「国民の不満、公務員の不安」というエッセーを載せていた。彼はエッセーで、われわれ官公労の間では大不評だった(笑)、昨秋から断続的に日経で一面連載した「官を開く」という企画の、自己弁護じみた話を展開していた。
 黒沼氏は、①国民負担を避けるために小さな政府が必要だ、②官の閉鎖的なシステムが続く限り真の改革はできない、③官をどう開くべきか、が連載企画のコンセプトだったと、まるで政治家のような執筆動機を開陳したあと、「形としての記事ではやや官に冷たいものになったという印象を持つ」などと書く。
 僕は、このブログで何度も霞が関の冷酷な現実から出発せよ、と書き続けてきた。黒沼記者は、エッセーの後段で、公務の現場でまん延する、うつ病休職者の現実に触れざるを得なかったようだ。キャリア官僚を含めて、うつ病など精神の病による長期病休者はこの10年で2倍となり、がんを抜いて約2000人となった現実に。
「ここ数年での(国家公務の)うつ病者数の増加は特に目立つとの声を複数の人から聞く。自戒を込めていえば、官たたきに走ったマスコミや政党にも責任の一端はある
 黒沼記者が、厚生労働キャリアに「何が問題なんでしょうね」と訊いたら、「しょい込んじゃうんですよ。みんな頑張って自分でやろうとするから」という答えが返ってきたという。そして、こんな風に締めくくっている。「(公務の)現場と読み手の感情の乖離を解きほぐすのには時間がかかる。マスメディアに携わる者として、押しつぶされるほどの大きな課題である」。

 公務員を5%削減しても財政赤字は増え続けるという事実、政府による公務員リストラキャンペーンの真のねらいは、消費税大増税への露払(つゆはら)いなのだということを、日経新聞は、もうそろそろ、隠すでないぞよ(笑)。

 紛れもなく昨年のベスト・ノンフィクションの一つである『日経新聞の黒い霧』(講談社)を書いた元日経のスクープ記者・大塚将司さんは、同書でスクープ取材の手法を語っている。①断片的な事実を寄せ集め、②推論を交えたグランドデザインを描く、③デザインの正しさを実証し、④リスクを負って記事にする。これが、取材相手から完全に独立したスクープを生み出す、と言うのだ。大切なのは、取材相手との距離感と、とにかく、……始まりも終わりも事実という現実から出発するということだ。ここには、読み手の感情だとか新聞社の「主張」だとか編集局企画部の「見込み」だとか、そんな恣意(しい)的な「たくらみ」は一分もない。
 『日経新聞の黒い霧』の白眉は、長年日経新聞を私物化してきた会長・鶴田卓彦――クラブ「ひら川」に年3000万円を越す社費をつぎ込んでいた男を、大塚さんらが懲戒解雇という会社の愚劣な攻撃に負けず株主総会で追放していくさまだ。飲み屋での大塚さんは、「仮にも日経は言論報道機関なんだ。それも、この20年間、米国流の経営手法や経済システムの導入を訴えている」といらだつが、「あとがき」では、こんなふうに書くことになった。
「かつての日経新聞はまぎれもなく“言論報道機関”であった。しかし、現在はその資格を喪失している。“情報サービス会社”へ堕落する転機はいつだったのか。それは1985年のプラザ合意だったような気がする」
 プラザ合意の歴史的な意味は、これから問われなくてはならない。
 『諸君』3月号に、大塚さんは「『全共闘世代』が日本を滅ぼす  大手マスコミに巣食う全共闘愚鈍世代よ、早く消え失せろ。定年延長? 冗談言うな。日本をダメにした輩が還暦後ものさばるのは百害あって一利なし」という激しい論文を載せている。一読し、労働組合にも通じる悲しい現実だと、僕は思った。

 この記事を書こうと思ったのは、別に冒頭の日経記者に反論しようと思ったわけではない。
 今朝早く目覚めて、ラジオから聞こえてきたニュース……、日経社員が自社情報を利用してインサイダー取引をしたというニュースを聞いて、暗澹(あんたん)となったからだ。新聞広告をめぐる「黒い霧」をいち早く指摘していたのが、大塚さんだったし。
 資本主義システムの最大の擁護者であるはずの日経新聞が、システム・サスティナビリティーの最悪の破壊者であるという矛盾!! ほとんどライブドアの堀江容疑者と同罪だ。

 霞が関と自宅の往復に使う電車のなかで、多くの人が読んでいる日本経済新聞。読み手は、もはや日経に事実にもとづくグランドデザインを期待していないのだとはっきりわかった記憶すべき日であった。読者が日経に求めているのは、新しい会社と商品の紹介、商品流通の情報と動向、役員人事、株価の推移などであって、権力を監視し、その腐敗を撃ち抜く言論などではない。連載「官を開く」が、あまりにも権力に近いところから書いているという僕の印象は、記者が言論機関としての矜持(きょうじ)を失っているという印象に他ならない。
 
 今後、黒沼記者は、現場と読み手の間で、「押しつぶされ」る事態(なんと大げさな表現!)には、絶対に陥らない。
 なぜなら、霞が関の厳しく悲しい現実を知っていたのに、それを連載「官を開く」で書かなかったから。そもそも日経は、現実と事実を最優先に報道するマスメディアではなくなっているのだから。日経が追うのは、アメリカ仕込みの人為的・意図的なストーリー(読み物)なのだから……。

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