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2005/09/08

憲法と国家公務員 その4

 忙しい上に、もっと書きたい実践ネタがあるというのに、しかし、(自分のために)この連載を続けよう。

 再び川村祐三さんの『ものがたり公務員法』に戻る。
 戦争に負けた日本という国家は、どのような公務員制度を確立すべきなのか? 更迭された軍人内閣に代わって皇族の東久邇内閣になるわけだが、彼が1945年8月18日に行った官吏に対する訓示があって、それは、
「官界の弊風を脱却既成の観念を清算し全く新しい大道に新日本を建設する気迫をもって克苦精励……」
 というものだった(笑)。

 じゃあ、「官界の弊風」とは何なのか?
 「朝日」1945年8月21日は、「官界の弊風、災いした出世主義、形式と法科万能一掃の秋」という見出しをつけて、ある官僚の談話を載せている。

 いわく、
 「官吏は国を守らずわが身を守った」
 「官吏の教養がきわめて偏(かたよ)っている」
 「敗因はいろいろあろう、根本的には官吏の立身出世主義にもとづいている」
 「上司と下僚に血のつながりというものができない」

 川村さんは、「まるで現在のことのように感じるのは私だけでしょうか」と結んでいる(笑)。

 このあと、国会では戦争体制を遂行した高文官僚の責任が問われていく。
 東郷実という衆院議員は、「敗戦の最大原因は政治と軍と官僚によって壟断(ろうだん)させられ、政治に責任を持たざる者が政治を支配し責任の所在を不明ならしめた結果である。官吏制度自体に抜本的改革を要望する」と主張しているし、新聞報道を調べてみると、終戦以来高級官僚の責任追及、官僚閥の打倒等の反官的世論が急激に台頭していることがわかる。国民のなかに、知事を公選で決めることや特高警察のような政治警察の廃止などが広がっていくのだ。
 国民の心の、もう戦争は嫌だ、という思いが、誰があの戦争を推し進めたのかという思考となり、結果的に、戦争を遂行した中心人物とそれを支えた連中の戦争責任が問われていくという構造だ。「行為あるところに責任あり」は、近代政治の大原則だが、このときの日本は、大きくて深い悲しみと引き換えに、やっとそのレベルに到達しようとしたといえる(しかし、当時の日本国民には、原則を確立するまでの力はなかったのだが……)。

 思想家の加藤周一さん(9条の会の呼びかけ人)は、「日本人の圧倒的多数は多かれ少なかれ戦争支持でしたから憂鬱な空気なんですが…、私は非常に少数の、戦争に批判的な日本人に属していました」と断って、敗戦の感覚を「これでまともな道に返った」「だから解放感なんです」と述懐している(『21世紀の自画像』)。
 僕が、いま、このブログで「戦争推進の官吏が悪かった」と書いたところで、それは結果論なのだ。
 
 いま、ちょうど選挙中ですけど、僕が考えてしまうのは、戦争遂行の国家総動員体制は、天皇を中心とした官吏体制によって担われたと同時に日本国民も少なからず、そのロマン主義に酔っていたということ。現代の国家公務員制度が戦前のそれと似ていくという時代性と、今回の選挙でメディアによって露骨に表現される政治家と元官僚たちのパフォーマンスは、やはり国民の理性を麻痺させる「何か」を内包しているという……、なんか、こわいな~。

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