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2005/09/30

霞が関一日総行動の告知

 阪神タイガース、優勝おめでとう! 
 (中日ドラゴンズの奇蹟は起きませんでした。でも、あの粘りは見習いたいですね~)

 さて、来週10月5日(水)の定時退庁日は、組合主催の霞が関一日総行動の日です。
 告知というか、スケジュールを書いておきます。
 
 霞が関で働く仲間のみなさん、お気軽にご参加ください。

 10月5日(水)霞が関一日総行動
 
 早朝   午前 8時30分 各省庁前でのビラまき宣伝
                  国公一般は、外務省前と内閣府前で行います。

 昼休み  午後12時15分 日比谷公園 霞門(かすみもん)集合
                  第3回 お昼休みパレード
                  虎ノ門 → 西新橋 → 西幸門コース

                  それぞれプラカードを持参してください。
                  アナウンスしながら歩きます。

 夕方   午後 6時15分 各省庁舎において「追い出し」行動
                  鐘鳴らしとか机上へのビラ配布、メガホン宣伝など、
                 いっせいに行います。

 夜     午後 6時30分 組合事務所で交流会 会費300円 
                  長時間・過密労働とただ働き、怒りの一言リレーなど
                   

                                             以 上

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2005/09/29

仕事が終わらない…

 うわ~、仕事が終わらない。
 目途(めど)さえ見えない……。

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2005/09/28

これ以上、職員を減らすな!

 12人の記者が投入された「日経」の連載「官を開く」(9月22日~25日)は、どうしようもないほど一面的な記事だった。民間・外資に官業をまかせれば、すべてうまくいくみたいな感じなんだが、あんたら記者は国民の味方なのか大企業・外資の味方なのか問いたくなったよ(笑)。
 大企業・外資が官業を開放せよというのは、儲(もう)けの対象としているためで、国民の安全・安心・公正・安価を考えてのことじゃない。大銀行、大自動車会社、JR西、大手インターネット会社、ピンハネ率を上げる派遣会社……、この日本を見渡せば、問題だらけの民間企業ばっかりじゃないか。改めてこの連載には、根本的な批判を加えた方がいいと思われる。

 最高に笑えたのは連載第4回だった。自民党の与謝野政調会長が、財務の主計の連中に「ごちゃごちゃ言ってないで入れればいいんだ」と一喝し、公務員の人件費の大幅削減策や数値目標が決められるという一幕が暴露されているのだが、本当のジャーナリストなら「政治家たちは霞が関の現実も知らず官僚を威嚇して、国民受けのする無責任なマニフェストをつくる。ここに小泉内閣の深刻な行き詰まりを見るのは間違いだろうか?」と切り込むはずなのだが、「日経」は「小さな政府に向けて官を開く努力は、企業、政治を含め、国民自身への問いかけでもある」などと格好つけて締めくくるのだ(爆笑)。

 はっきり言う、これ以上、霞が関の職場から職員が減らされたら、いったい職員の健康と国民サービスはどうなってしまうのか? いま年間140人の国家公務員が自殺し、6600人が精神障害などで長期病休者となっているんだぞ。

 今日、霞が関の省庁組合22組合でつくる霞国公が、厚生労働記者会にて記者会見を開き、今年の残業実態アンケート(対象4138人)を発表したのだが、人事院の残業上限月30時間を守るなら、3100人の新たな増員が必要だという指摘があった。月平均の残業時間は43時間、過労死ラインの80時間の職員は12%、深夜零時以降の帰宅者は約1割、残業代の未払い者は6割をこえ、服薬・通院中の職員は4割……、このデータには財務省や外務省の職員が抜けているから、実態は、もっと酷いはずだ。

 霞国公の組合役員は、「朝日」「毎日」「東京」「共同通信」の記者たちに向かって、「どうか霞が関の職場の実態を国民のみなさんに報道してください。公務員バッシングや大規模削減がすすむいまこそ、本当のことを伝えてください」と訴えたことが、その場にいた僕の胸に突き刺さった。

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2005/09/26

セクハラとのたたかい方

 セクハラとたかかうには、たった一人で対応してはいけません。これは、鉄則です。なぜならば、当局がもみ消し工作や身内意識でかばったり、外に漏れるのをおそれて何も対処しないとか、そういうケースが多いからです。
 具体的にいうと、人事院の苦情処理係か労働組合か、あるいは信頼できるタフな友人を自分と相手の間に介在させて物事を進めることが必要です。本当は、セクハラは犯罪なので弁護士を雇った方がいいのですが……。
 霞が関において、正職員による非常勤職員へのセクハラが深刻さを増しています。僕の友人(女性)は、「加害者は、正規の女性職員にはしないんですよね。だって、簡単に辞めないから」と教えてくれました。
 ある職場では、労働組合が、非常勤職員のセクハラ被害の相談を受けて、彼女に組合員になってもらい当局と交渉を重ねました。加害者は「オレはやってない」「オレの方が濡れ衣で被害者だ」などと主張したそうですが、セクハラ再発防止のキャンペーンも強く張ったことで、結局、当局は加害者を遠くへ異動させざるを得ず、一件落着しました。
 
 先輩の女性組合員からは、こんな話も寄せられました。

 私が、組合の役員を降りた頃の話ですから、×年くらい前のことです。
 それは、女性職員が上司から受けたセクハラでした。
 本人(被害者)が転勤する直前の出来事でした。それまでもいろいろとあったようですが、被害者は、上司のさらに上の上司に訴えたり、労働組合にも相談しました。
 組合の女性部と支部の女性達は、被害者の立場に立った解決を迫り、その場しのぎの対策では次の被害者が生まれる危険性が高いことを主張しました。また、被害者本人の二次セクハラにも配慮するよう強く要求し、当局に解決を迫りました。
 最終的には、加害者本人の資質の問題もあって、退職することになったと思います。
 この結果は、何よりも職場の女性達の、「セクハラ」はどこの職場でも許されないという強い思いが、一番の力になったと思います。

 
 労働組合が、自主的な活動でセクハラ問題を解決することができるという事実に、僕自身が励まされます。同時に、いまだに何度もセクハラが繰り返されている事実に暗澹(あんたん)とします。
 これから僕は、霞が関におけるセクハラ防止キャンペーンを強めたいと思います。

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2005/09/21

二人ごと

 昨晩、新橋で若い同僚と天ぷらを食べながらお酒を飲んだのだが、なぜ彼を誘ったかというと、20代後半の若者である彼がどうして組合員として生きることを選択したのか知りたかったからだ。
 このブログで、以前、僕は書いたのだ。いまの若い職員には、みんなで連帯して何かを成し遂げたという経験もなければ、競争教育のなかで他人を蹴(け)落とすことを「是」として生きることを運命づけられていて、本省Ⅱ種などで霞が関に採用された暁(あかつき)には、自分を「勝ち組」と錯覚してしまうという……、そういう若い彼らのなかから(少数ではあるが)組合員としての行政マン人生を選ぶヤツが出てきている。

 僕は、彼に率直に訊いた。
「あんた、なんで組合なんか、やってるんだ?」
 彼は、「う~ん」と唸(うな)った後、はっきりと言った。
なんかかんや言っても、組合しかないんスよね。それが分かりましたから」
 エリート大学を出ている彼から、いきなり「組合しかない」と言われても、僕には意味がわからない。
「……それ、どういうこと?」
「な、何がですか?」
「だから、君みたいな若い人が、『組合しかない』なんて、ちょっと似合わないし
 僕がそう言って笑うと、彼は、「だって、これだけ民間労働者と公務員の生活と労働条件が悪化している状況のもとで、僕らは、財界と政府の貧乏比べ攻撃に見事にひっかかっしまったわけでしょ? こういうときに、僕は何をすればいいのかって考えたんス」と答える。
 彼は、はっきり言って、頭がいい。
「……結局、団結するしかないんスよ」
 日本酒をどんどん飲んでいく彼の(大切な)話は、止まらない(笑)。
「……組合に対してさ、いろいろな意見、悪口、『こんなんじゃ駄目だ』とか『このままじゃ衰退の一途』だとか、批判はあるけれど、そう言うのは簡単なことなんス。そういうことを全部ひっくるめて組合が受けとめて、とにかく、僕らが、たった一人では、当局の出世攻撃のもとで職場でバラバラにされている僕らが、手をつなぐことからしか始まらないと気づいたんス」
 僕は、「……組合じゃなくても、手をつなぐなら、Ⅱ種の、人事関係でつながる秘密のメーリングリストとかあるじゃない」とふっかける。
 彼は、ほとんど演説調になって答える。
「……いや、それはそれとしてあるけれど、メーリングリストは、本気じゃない。誰がどこに引っ張られただの、誰が辞めただの。逃げたいときに逃げられるツールに過ぎない。それじゃ駄目なんス。これから本格的に始まる公務員リストラと国民生活を痛めつける政治に本気でたたかいを挑むなら、いろいろ文句はあっても組合を足場にして連帯していくしかないんス」
 若いからこそかもしれない、と僕は持論を修正する。安月給で深夜まで働かされて、やっている仕事は、建前では「国民のため」というもの……。友人・知人と話し合えば、時代の先行きはまったく見えない。そんな感じ(センス)を、ヒリヒリ肌で触れるのだろう。彼は、このままでいいはずがない、と確信しているのだ。

「あんた、若いのに、いいこと言うな。……ここのお代は、僕が全部持つよ」
 僕は、励まされたことと引き換えに、そう言ってしまった(笑)。

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2005/09/18

人事院と各省は、セクハラを一掃せよ!

 日曜日ですが、今日も霞が関から愛を込めて(笑)。
 昨日も仕事でした……。

 今朝、霞が関で働く非常勤職員からの叫びにも似たコメントがあったのを見つけ、とにかく何か書かなきゃと思いました。
 霞が関におけるセクハラのひどさは、人事院が自己評価で対応が不十分だと認めざるを得ないほどの深刻さだ。また、人事院規則でセクハラ防止策をうたったものの、セクハラ相談員の形骸化を含めて実効が上がっていない。

 以下は、先日7日、内閣府、財務省、外務省、総務省前で配布したニュース「国公いっぱん」の記事です。

   「課長から『愛してる』メール」「まるでホステス」……
   人事院は、非常勤職員へのセクハラ対策を強めよ(以上、縦見出し)

   ブログ・労働相談で告発(横見出し)

   (本文)霞が関のセクハラが大きな問題になっています。国公一般へ
  の労働相談やホームページのブログ「がぶり寄り」のコメントで告発され
  るなどセクハラの実態が明らかになっています。
   とりわけ、非常勤職員に対するセクハラは、「課長から『愛してる』メー
  ルが届く」「飲み会などで補佐・係長からホステス扱いされる」など、人
  事院規則10-10でセクハラ防止の責任者と位置づけられている上司
  がセクハラを行っているという深刻さです。
   人事院は、改めて人事院規則にもとづき各省での職員セクハラ防止研
  修の徹底とセクハラ苦情相談窓口の周知・改善をはかる必要があります
  (本文終わり)。

 
 記事になると極めて理性的に書いたように思われますが、はっきり言って、本文を書いた僕は、怒りでいっぱい、とても感情的でした。戦争の侵略問題もそうですが、やられた方は忘れないという原則があります。セクハラされた側は、絶対的に弱い立場の非常勤の女性で、他人に話すのさえ苦しいという状況に追い込まれます。セクハラを行った方は、「あれがセクハラ?」みたいな低レベルの、フロアを支配している男たち。
 
 僕は、単純に、苦しんでいる仲間を助けたいという、その一点で相手と徹底的にたたかう。

 組合には顧問弁護士もいますし、僕の大学同期の素晴らしい若手弁護士たち(女性)もいますので、被害にあった方は、泣き寝入りしないでメールをください。二度と同じことが起きないようにするため、なんとか解決へ向けた突破口を一緒にさがしましょう。 

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2005/09/15

自分の言葉で語ること、書くこと

 前回の記事について、いろいろな方がコメントを寄せてくれました。
 本当にありがとうございます。いろいろな立場から、率直にコメントしていただけると、自分の思想と行動が客観化されて、今後に生かすことが出来ます。

 前回の記事は、僕のエピソードに加えて、ある新聞記者から送られてきたメールを、本人の了解を得て掲載したものでした。なぜ、こんなことをしたかというと、手抜きでもなんでもなくて、今回の総選挙の本質というか、非常に危険な側面が指摘されていると思ったからです。
 テレビのない生活をしている僕には、今回の総選挙でマスコミが面白おかしく「小泉劇場」を描くヒートアップぶりも、当の小泉首相の演説が国民の心を鷲掴みにしているという「魔力」もほとんど知らずに過ごしていたわけなのです。ですから、自民党圧勝という現実を前にして、僕自身の漠たる気持ちを表現する言葉が見つからなかったのです。記者の言葉は、ある程度、僕を納得させました。

 それを「気になった」さんが、「貴方の言葉で語れ」とコメントで批判されたわけです。そして、語る言葉には慎重にという注意も加えて。……なるほどと思いました。

 組合オルグの僕を含めて、いま労働組合から発せられる言葉は、組合員の心の底から出できたものではないと思うときがあります。組織率の低下は、組合発の言葉の力の低下と重なるのではないかと思います。建前論というか、機械論というか、とにかく詰まらない言葉の連続とオチの分かる展開……。これでは、未知なる人と理解し合うことはできませんよね。
 辻元清美的というか、鈴木宗男的というか、とにかく自分の言葉で語る人は、魅力的です。
 オルグをするとき、初対面の方を含めて、僕が滅茶苦茶に緊張するのは、相手にかける言葉が見つからないまま、食堂や喫茶店や日比谷公園へ向かうからです。相手は、どんな気持ちで電話をかけてきたのだろう? どんな苦しみを抱えているのだろう? と思い巡らしても、出てこないときがあるのです、言葉が、本当の言葉が……。

 今年一年、全力で頑張りますので、よろしくお願いします。

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2005/09/12

公務員を殺せと叫んでいる

 今年の6月のことだけれど、なじみの飲み屋で、僕が何気に「ボーナス入ったから、奮発してたくさん食べようかな」と言ったら、ガテン系の労働者が鋭い目つきで「お前、公務員か?」とドスの効いた声で言うので、「ええ、まあ」と答えたら、「この税金ドロボウが、楽な商売しやがって」と難癖をつけられた。もう少しで喧嘩になりそうだったけれど、僕は、黙ってこらえた。
 いまどき、ボーナスは公務員と直結する言葉なんだ、こんなにも公務員が憎しみの対象となっているのかと痛感した出来事でした。

 ……さて、国公一般のブログの読者のなかには、大手のマスメディアで働いている人もいて、ときどき取材を受けるようになったのだが、下記に添付するのは、ある記者からのメール全文です。彼の了解を得て掲載しますね。今回の総選挙の本質的なものが、客観的に追ってきた記者の目から浮き彫りになっていると思うからです。 


 ごぶさたしております。
 総選挙はご存じのような結果でしたが小泉の最大の狙いはやはり、自民党内の反対派崩しより、いかに民主党にうち勝つかだったと思います。前回の選挙の流れで行けば、政権交代は時間の問題でしたから、その流れとは違う対決軸を作り出す、その絶好のタイミングをとらえたと思います。

 政治家には直観も大事なのですが、小泉恐るべしです。

 ちなみに直観といえば、経済学者のシュンペーターは、理論以前の直観的認識をビジョンと呼び、理論よりも重視していました。オックスフォードの経済学者ハロッドは「アメリカ的統計をいかに駆使しても、イギリス社会の現在の特徴は把握できないだろう。イギリス社会を知ろうと思ったら、それに関する一編の優れた小説を読む方がいいのかもしれない」(『社会科学とは何か』岩波新書、清水幾太郎訳)と言っています。

 選挙中、小泉首相の演説を聞きましたが、そこで非常に危険なものを感じました。
 彼の言うのは郵政民営化一本やりなのですが、「郵政事業は公務員がやる必要があるのでしょうか、38万人もいるんです」「反対派も民主党も国家公務員の身分を失いたくないと言う既得権を守ってくれと言う勢力の応援を受けているから民営化に反対なんです」というのが中心です。
 これが何を意味するのか。

 横浜の公明党候補を応援に行った街頭演説の時、小泉の前座に立った現地の公明党市議の話を聞いてぴんときました。その市議は市営バスの問題をとりあげて、非効率だ、それは市営バスの運転手の給料が800万円だからだ、競合する民間のバス会社の運転手は500万円だと言って演説していました。
 公務員攻撃の典型ですね。
 自分は市議として1000万以上の歳費をもらっているくせに、何を言っているんだと思いましたが、これを駅前を埋めた1万人以上の聴衆が拍手で聞いているところが不気味なのです。

 つまり、「いま楽をしている連中に、みなさんと同じ苦労をさせます」というのが公務員攻撃が受けるところなのです。ここに小泉が変えたいという角栄型政治との根本的違いがあります。
 角栄は「道路をつくります」「橋を造ります」といって、みなさんのためになることをするといって、金をばらまきながら票を集めたわけですが、財政破たんの今、国にそのようなゆとりはありません。そこで小泉は、有権者の実利になることではなく、誰かをスケープゴートにすることで、観客である有権者の歓心を買うわけです。劇場型政治といわれることの本質は、「生け贄政治」「見せしめ政治」なのだ、私はそう感じました。古代ローマで奴隷が互いに殺し合うのを市民が見物し、あるいはフランス革命でマリー・アントワネットをギロチンにかけるのを公開したのと同じです。このように感じたのはぼくだけではなく、同僚の記者が何人も同じように感じたと言っていました。

 ちなみに大阪で小泉の街頭演説を取材した社会部・N記者のメモは「小泉の話は郵政一本でいつもと同じだが、郵政職員38万人も必要かというところで沸く感じ。地元市議が大阪市役所の裏給与問題などを話しており、(組合との癒着を批判、市長選で応援してもらっているから)最近の雇用不安もあり、なぜ公務員だけ優遇されるのか、首切りもないし、うらやましさも混ざった『公務員敵』論みたいな感情に小泉の演説が受けている感じがした」と書いていました。

 いわば小泉の郵政民営化論は人間のしっとやねたみなど、俗な心にうけるのです。逆に言えば、それだけ国民にフラストレーションがたまっているとも言えるわけです。行き場のない得体の知れない不満が自民圧勝をもたらしたと言えるでしょう。

 だいたい郵便屋さんが国家公務員だからといってそんなに楽をしているなんてことはありません。大量の郵便物や、きつい貯金獲得のノルマにおわれて、総じて見れば安月給です。人減らしも着実に進められています。多少民間よりいいとすれば、民間の条件が悪すぎるので、こちらこそ変えるのが国民のためになるのに、そこに気づか
ず、小泉の演説にどこでも五千とか一万の人が集まって、公務員いじめに拍手する。
 自分の首を絞めるこんな悲劇があるでしょうか。ユダヤ人を攻撃して人気を得たナチスとまさに重なってきます。

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2005/09/08

憲法と国家公務員 その4

 忙しい上に、もっと書きたい実践ネタがあるというのに、しかし、(自分のために)この連載を続けよう。

 再び川村祐三さんの『ものがたり公務員法』に戻る。
 戦争に負けた日本という国家は、どのような公務員制度を確立すべきなのか? 更迭された軍人内閣に代わって皇族の東久邇内閣になるわけだが、彼が1945年8月18日に行った官吏に対する訓示があって、それは、
「官界の弊風を脱却既成の観念を清算し全く新しい大道に新日本を建設する気迫をもって克苦精励……」
 というものだった(笑)。

 じゃあ、「官界の弊風」とは何なのか?
 「朝日」1945年8月21日は、「官界の弊風、災いした出世主義、形式と法科万能一掃の秋」という見出しをつけて、ある官僚の談話を載せている。

 いわく、
 「官吏は国を守らずわが身を守った」
 「官吏の教養がきわめて偏(かたよ)っている」
 「敗因はいろいろあろう、根本的には官吏の立身出世主義にもとづいている」
 「上司と下僚に血のつながりというものができない」

 川村さんは、「まるで現在のことのように感じるのは私だけでしょうか」と結んでいる(笑)。

 このあと、国会では戦争体制を遂行した高文官僚の責任が問われていく。
 東郷実という衆院議員は、「敗戦の最大原因は政治と軍と官僚によって壟断(ろうだん)させられ、政治に責任を持たざる者が政治を支配し責任の所在を不明ならしめた結果である。官吏制度自体に抜本的改革を要望する」と主張しているし、新聞報道を調べてみると、終戦以来高級官僚の責任追及、官僚閥の打倒等の反官的世論が急激に台頭していることがわかる。国民のなかに、知事を公選で決めることや特高警察のような政治警察の廃止などが広がっていくのだ。
 国民の心の、もう戦争は嫌だ、という思いが、誰があの戦争を推し進めたのかという思考となり、結果的に、戦争を遂行した中心人物とそれを支えた連中の戦争責任が問われていくという構造だ。「行為あるところに責任あり」は、近代政治の大原則だが、このときの日本は、大きくて深い悲しみと引き換えに、やっとそのレベルに到達しようとしたといえる(しかし、当時の日本国民には、原則を確立するまでの力はなかったのだが……)。

 思想家の加藤周一さん(9条の会の呼びかけ人)は、「日本人の圧倒的多数は多かれ少なかれ戦争支持でしたから憂鬱な空気なんですが…、私は非常に少数の、戦争に批判的な日本人に属していました」と断って、敗戦の感覚を「これでまともな道に返った」「だから解放感なんです」と述懐している(『21世紀の自画像』)。
 僕が、いま、このブログで「戦争推進の官吏が悪かった」と書いたところで、それは結果論なのだ。
 
 いま、ちょうど選挙中ですけど、僕が考えてしまうのは、戦争遂行の国家総動員体制は、天皇を中心とした官吏体制によって担われたと同時に日本国民も少なからず、そのロマン主義に酔っていたということ。現代の国家公務員制度が戦前のそれと似ていくという時代性と、今回の選挙でメディアによって露骨に表現される政治家と元官僚たちのパフォーマンスは、やはり国民の理性を麻痺させる「何か」を内包しているという……、なんか、こわいな~。

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2005/09/05

憲法と国家公務員 その3

 前回、戦前・戦中の官吏制度が、戦争遂行のために国民を総動員させるためにフルに機能したということを簡単に見た。あの戦争が勝利に終われば、深い反省や検討など必要なかったのかもしれないが、負けたのだ。完敗したのだ。
 そもそも天皇のもとに世界を統合するという「八紘一宇」の理念とか日本を中心としたアジア諸国の解放という大東亜共栄圏構想そのものが幻だったのであり、満州国の「建国」に見られるように、他国の侵略の上に成立するものだった。結果論だが、(欧米の自由主義に対立する)理念上から言っても、日本の敗北は必然だったと言える。しかし、特攻隊の学生軍人の遺書や日記を読むと、そのことを理解している者が少数だがいる。当時の官吏のなかにも存在したはずだが、多勢に無勢だったのだろう。

 ここまで書いてきて、勘の鋭い読者は、戦後の国公労働運動がその活動の中心にすえることになる、「民主的な行財政・司法をめざすとりくみ」「国民のなかへ、国民とともに」の遠い起源は、敗戦を契機とした戦前・戦中の国家機能への深い反省にあると気づくはずだ。

 日本国憲法は、第99条の憲法遵守義務のほか、次のような条文を備えている。

 第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
       すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
       公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
       ……

 つまり、僕が理解するところ、日本国憲法は、「戦前・戦中の公務員は、信頼しない」ところから検討されている。戦前・戦中の公務員は、「一部の奉仕者だった」し、公務員にひどいことをされても国民には「罷免する権利」がなかったということだ。そのことの否定の上に、戦後の国家公務員制度が目指されたに違いないのだ(その成立過程には、いろいろな問題はあるけれど……)。
 そして、敗戦直後から雨後の竹の子のように生まれた官公労(公務員の組合)は、まさに戦前・戦中の戦争国家システムの否定の上に成立したと言えるのだ。

 名古屋市出身の作家である城山三郎さんの『官僚たちの夏』(新潮文庫)を読んでみる。
 高度成長のただなかで格闘する「ミスター・通産省」・風越信吾の物語だが、いろいろと考えさせる。彼が、現在の全経済(経済産業省の組合)の前身組合・全商工労組の初代委員長であったことが明らかにされている。
 風越は、組合に大衆討議を導入し、政策勉強会をつくって天下国家を論じる。ノン・キャリア組にも政策論議に参加させる。一方で、無能な職員の不適格リストを作成し、相応の処置を官側に取らせる。

「風越の率いる全商工労組は、…最も戦闘的な組合となった。2・1ゼネストのときには、…最後までスジ論を通し、参加の体制を崩さなかった。行政整理に対しても、断固として反対した」
 
 通産省が、戦中の商工省→軍需省の後身であることを考えるとき、城山さんは書いていないが、優れた高等官僚(キャリア)であった風越が、戦後、組合委員長を引き受けた理由の一つに、戦争の悲しみの担い手には絶対にならないという反省があったからではないか?

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2005/09/02

憲法と国家公務員 その2

 とりあえず中日ドラゴンズ、頑張って下さい(笑)。

 さて、名古屋大学法学部の大先輩で、人事院キャリアだった川村祐三さんの書かれた『ものがたり公務員法』(日本評論社)をひもといてみる。
 第一話が「公務員法前史」で、戦前の官吏制度が解説されている。
 川村さんは、「戦前は、公務員法などという法律はありませんでした」と書き出し、官吏の任用・給与・服務はすべて勅令(天皇の命令)によって定められていたと指摘しています。まずは、大日本帝国憲法の下で、いまの国家公務員は、「天皇の官吏」としてあったということだ。
 それから大事なことは、「官吏」の他に、ほぼ同数の「雇員・雇人」と呼ばれる職員が底辺の部分にいて、事務や作業に従事していたということ。川村さんは、戦前の官吏制度――トップに君臨する高等官・判任官、そこから枝分かれする勅任官、奏任官、それから親任官、認証官……末端にいる雇人まで――を、「身分的官吏制度」と特徴づける。高等官などは、食堂やトイレも別枠で設けられていたというから、その差別的扱いに驚く。
 僕の上司が、「いまで言うと、キャリアが高等官で、Ⅱ種以下が雇員・雇人という感じだろうな~」と教えてくれました(笑)。
 
 その上司が教えてくれた本が『官吏・公務員制度の変遷』(日本公務員制度史研究会編・第一法規)で、第4章「昭和前期(第二次世界大戦終了前)」から読んでみる。
 この時期は、大日本帝国憲法の下で、腐敗した政党人に代わって軍部が政治を支配していく時代みたいだ。現役の将官のみが陸海軍大臣になれ、内閣機能が強化されていく。それから、とにかく戦時行政体制を確立するために頻繁に行政組織が変更される時期なのだが、その中心に企画院(国策の審査、国民の総動員計画、国力拡充、予算の統制など)がすわる。企画院をめぐっては、陸軍と海軍が対立し、「事実上は内閣の総動員関係の事務機関たる地位」となったと書いてある。その後、大東亜省(笑)とか軍需省とかが新設されていく。
 このとき、官吏=一般行政官=高等文官になるためには、「高等試験」なる難しい試験に合格しなければならなかったらしい。科目を見ると、いまの国家公務員試験と変わらないようだけれど(笑)。この試験制度も、戦争のなかで何度か改正される。「外交官僚の勢力を国策の下に従属させよう」とか「占領行政などの遂行のため」という目的で、適当に改変された後、最終的には、学生がほとんど動員・召集されるようになり、試験が続行できなくなってしまうんだけど(笑)。
 
 やばい、この本、面白すぎて横道に入ってしまう。
 ……まあ、とにかく、戦前・戦中の官吏制度というのは、(明治から読むまでもなく)近代戦争遂行のために、とにかく国民を総動員させる機能をもたされたシステムで、圧倒的多数の官吏たちが「いかに戦争に勝ち抜くか」という観点から行政を担ったわけなんだな。だから、電力・電波・食料・農地その他の資源すべてを統制的に管理するし、空襲対策と称して道路の拡張を一方的に行うし、優生思想なんかを本格的に厚生行政に生かそうとするし、政党を解散させるし、さらに労働組合も軟弱な一つだけにまとめちゃうし、極端な話、国家機構は、プロレタリア文学作家の小林多喜二を約2時間の拷問で虐殺することまでやってしまったのだ。
 全部、こういうことを担ったのは、最悪なことに、「天皇の官吏」なのだよ。
 
 いまで言うと、郵便・通信・公安・裁判・予算・経済活動・健康と労働・輸送と交通・外交……すべてが、戦争を勝ち抜くために一方的かつ強権的に国民生活に押しつけられる、というイメージかな? そういうことをすべて(普通の)国家公務員が(嫌々)やったわけですよね、きっと。

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