« エゴ的組合活動からの脱皮 | トップページ | 信じるということ »

2005/06/08

知識人の役割 その1

 いま「知識人」っていう言葉、もう死語なんでしょうか? 
 左派でも右派でもいいけれど、かつて「知識人」が担っていた役割ってあったと思うんですよね(例えば、小熊英二さんの『民主と愛国』なんかを読むと)。だけど、いま、新橋とか霞が関の書店に平積みになっている、大学の先生たちの本の、なんと内容の無いこと…、軽薄で、単純で、ほとんどハウツー的なことしか書いていない。

 …なんで初っ端からこんな不満を述べるのかと言いうと、先週末6月4日(土)に開催された「公務の公共性を考える集会」(国公労連主催)に参加して、改めて知識人の凄(すご)さというか、知識人への敬意というか、そんなものを感じたからだった。
 これは、決して自画自賛したいのではなくて、国民が理解できる言葉で、この時代の本質と希望を語るという知識人の役割が、(新橋や霞が関の書店ではなく)組合の集会において発揮されたということが、極めて新鮮だったということなんですよ。
 記念講演した山家(やんべ)悠紀夫さん(元神戸大教授)、パネリストの浜川清さん(法政大学教授)、宮本憲一さん(元滋賀大学学長)、晴山一穂さん(専修大学教授)、二宮厚美さん(神戸大学教授)が、それぞれ小泉「構造改革」とは何か? から、公務という分野の定義づけの問題、総人件費削減という政府の攻撃に対抗する軸をどこに据えるかという組合側の構えの問題まで、大変示唆に富む話を展開してくれた。会場となった日本青年館は、満員御礼だったけれど、全国の組合員に一人でも多く聞いてもらいたい内容だった。

 山家先生は、第一勧銀の調査部長をされていただけあって、最新の客観的なデータによって小泉「構造改革」の本質を浮かび上がらせてくれた。
「…公務員って本当にいいなあ、と思っていたんですよ。(いま問題になっている厚遇だからではなくて)公務員は、国民のために働けるじゃないですか。いくら私たちが銀行マンで『お客さんのため』と言っても、民間がやれるかどうかの判断基準は、儲かるかどうかだけなんですよ。はっきり言ってお客さんのためより、その事業が儲かるかどうかだけなんですよ。だから、なんとなく面白くなくてね……」

 そんな話から切り出した先生いわく、「構造改革とは、いかに企業が儲かるかという観点から、市場を広げてやることだった」とズバリ。「官から民」へのかけ声のもとでの規制緩和も労働法制の改正も大銀行の統合も、すべて「国民の生活向上」のためではなく、いかに企業が儲けるか、ただそれだけのためだったのだというのだ。実は、生活者である僕らの「痛み」は、先生いわく、「報われない『痛み』であり、これからもっと生きにくい社会がやってくる」のだそうだ。
 先生は、90年代半ばからの数字を拾って分析する。景気の低迷、財政赤字の増加、賃金の減少、雇用の減少、失業者・不安定労働者の増大と所得格差の拡大、倒産件数と自殺者の激増などマイナス要因を挙げればきりがないが、ただ特徴的なプラスの指標は、大企業収益の回復のみなのだ(!)。働く者の「痛み」を収奪しているのは、大企業なのだった。なんだか、(これまで大企業が儲かれば、その配当のパイが大きくなるので労働者の暮らしはよくなると信じ込んでいた)僕は、本当に、目からウロコというか、目が覚めるような気がしました。

 そして、先生は、最後に「日本は、福祉国家から監獄国家へ向かっているのではないか?」と、ドキッとする警告を発しました。日本の受刑者は、昨年43年ぶりに6万人をこえたのですが、日本の先を行っている格差社会アメリカでは、過去最多の216万人だそうだ。つまり、先生は、「日本の人口の2倍であるアメリカがこんな状態ですから、日本の現状はまだまだ悪くなる可能性をはらんでいる」と指摘するのだ。

 小泉「構造改革」で、本当に僕たちの生活はよくなったのだろうか? 答えは、はっきりとノー!だ。
 そういえば、僕の後輩が、「いつまでも派遣じゃ、恋人がいても結婚できない、結婚しても家族がつくれない、結婚できなくてもローンも組めない」と言っていたな…。

|

« エゴ的組合活動からの脱皮 | トップページ | 信じるということ »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 知識人の役割 その1:

« エゴ的組合活動からの脱皮 | トップページ | 信じるということ »